嵐のような2週間でした。

まだまだ落ち着いてはないのですが、多少は余裕が出来ました。

一昨日、なんと2ヵ月半ぶりに髪を切りに行って、
カラーリングもトリートメントもマッサージも、
やれる事は全部やってもらいました。
さらにその後に、大学時代の友人と久しぶりに飲みに行きました。

相当リフレッシュできました。
へへっ。

後悔したことといえば、
飲まないで映画を見に行けばよかった・・・・・、
ということぐらいでしょうか。
 
 
で、今日、仕事場に来たら、
ボスKも、上司Tも、髪の毛を切っていたので、それにびっくり。

別に、誰も美容院に行くなんて言ってなかったのに。
「個人主義」の職場だし・・・・・。

でも、なんだかんだ言って、皆、かなり疲れてたものねー・・・・・。
 
 
 
さて、新しいフォームになったので、とりあえずいじって遊んでみようと思います。

さて、どうしよう。

2004年1月20日
学生時代、少しばかり合唱をかじっていました。

合唱部に所属していましたが、それに飽き足らず、市民合唱団みたいなものにも(正確にはちょっと違うけど)、首を突っ込んでいたりして。

社会人になってからも、ボイストレーニングを受けていたりしたけれど、一人じゃ寂しい。
やっぱり大勢で歌いたいなーー・・・・!!

そんなコトを考えてたら、古巣の合唱団でHPが出来ていた。
そして、団員募集のお知らせが。
 
 
うーーーーーーん。

どうしよう。
 
 
とりあえず、月1回の練習参加はきっとなんとかなるにしても、会場に行くまでの距離が・・・・・。

今週末までに決断せねば。
 
 
悩ましい日々が始まりました。
あうう。
昨日は、夫も私の実家に泊まり、昼過ぎに帰途へ着いた。

ここのところ、気分的に沈んでいたこともあり、どうしてもどうしてもドライブに行きたくなった。

いつもの通り、運転席は私で、助手席は夫。

いやー・・・夫の運転、ダメなんですよ、私。
醉うんです。
 
 
行きも帰りも同じ道なんてつまらない。

まして、それが帰り慣れた実家→新居、なら。
なおさら、通ったことのない道を通ってみたい、と思うのですが・・・・・、私。
 
 
でも、夫の言い分は違うみたい。

運転は、あくまでも手段であって、趣味にはならない。
なんでわざわざ遠回りするのか、理解できない。

だって。

帰り道を巡って、二人の考え方の相違があり、車の中でやや口論気味。

ホント、何やってんだろ・・・・とほほ。

遅ればせながら

2004年1月17日
私の実家に、二人で新年の挨拶に行ってきました。
 
 
新年の挨拶、というのは口実で、

私の快気祝いを兼ねて、近所の行きつけの割烹で家族みんなで食事。

弟を含めて、みんなで鍋をつつきながら、ビールをぷはー・・・。
冬は、やっぱりこれに限りますな。

お酒を余り飲めない夫も、そういえば結構飲んでたなー。

私は、ビールジョッキに3杯と、普段からするとかなり控えめな方でした(笑)。

無題

2004年1月16日
1月20日に、Tが、帰ってくる。
 
 
 
世の中は、どうしてこんなに厳しいのでしょうか。
・・・・今日も忙しかったなー。
朝も早よから働いてたからなぁ・・・・。
 
 
 
 
手術後、ほとんど全くアルコールを飲んでいなかった私ですが(飲んだのは、元旦のお屠蘇一舐めと、1/8に飲んだ、薄めのカシスウーロンのみ!)、そろそろビールが飲みたくなってきました。

そろそろ、快気祝い兼新年会(ついでに忘年会)、いっぺんにやってしまおうかと思います。

仕事量が、いつもの月曜日の倍近くに増えるから。

なにせ、ある意味接客業なので、普段はにこやかに(営業)対応するのだが、連休明けの火曜日となると、さすがに顔が引きつっているらしい。

そりゃあさー、殺気立つってば。

先週の仕事始めで、先送りした仕事が、全て今日に回ってくるんだから。

誰だっけ、「ハッピーマンデー」なんて言った人・・・・。


適当に食事を作り、

部屋をちょっとだけ片付け、

二人で近くの公園に散歩。
 
 
途中で喫茶店に入り、

コーヒーをすすり、

本屋で立ち読みし、

家に帰る。
 
 
至極平穏無事な一日。


仕事明け。

2004年1月11日
昨日の真夜中は、本当に落ち着いていました。

昨日の日中から夕方の慌しさが、全くの嘘みたい。
 
 
昼前に家に帰って、やっぱり仕事から帰ってきた夫と合流。
簡単な昼食を食べた後、片付けするのも億劫で、二人で疲れて寝てしまいました。

起きたら、真っ暗。
TVもつけっ放し。
・・・・・なんと、夜8時。

なんだか、一日損した気分・・・・。
 
 
せっかくの休みがもったいないので、夕飯を食べた後、まだ眠たそうな夫を引き連れて、横浜まで2時間ほどドライブしてきました。

・・・・・もちろん、私がドライバーです。
 
ちょっと、鬱になっていた気分が晴れた気がします。



今日は、夕方から仕事がある。

しかし、夫は朝から仕事だったので、仕方なく朝から起きて、朝ご飯を準備し、職場まで(珍しく)車で送った。

邪魔者がいなくなったので、午前中、部屋の掃除をする。
しかし汚すぎて片付かない。
あわわわわ。


 
午後、早めに仕事場に行った。
 
 
夕方から急に慌しくなり、

でも、夜が更けるに連れ、いつしかその騒々しさも消えていった。
 
 
今週は、辛いことばかりだったなぁ・・・・・。
 
 
 
 
 
・・・・・そういえば。
・・・・・去年の、ちょうど今頃も、辛いことばかりだった。

切なくなった。

悪夢。

2004年1月9日
昨日の夜、全然寝付けなくて、結局、寝たのは3時過ぎ。

普段は夢なんて見ないのに、久しぶりに夢を見た。
しかも、夢見が良くなくて、朝、寝起きはどんより・・・・。
 
朝から疲れてたので、いつもより少しだけ遅く家を出た。
 
 
 
仕事場に着いた途端。

まさに、嵐のような一日となりました。
 
 
 
1月からこんなに忙しくては、先が思いやられます・・・・・。
1/6の仕事中に、嫌な知らせが届いた。
今日の夕方に、第2報が来た。
 
 
 
決して、いい知らせではなかった。 
最悪ではなかったけど。 
 
 
 
 
 
結果を聞いた途端、どっと疲れが出て、悲しくて、
やっている事全てを放り投げてしまいたくなった。
 
 
 
 
 
夜、後輩Sからメールがあり、気分転換にご飯を食べに行った。

退院後、初の外食で、しかもどうしても無性に肉が食べたくって、焼肉を食べに行ったけど、自分の食べたいだけの量を食べられず、なんだか急に悲しくなった。

仕事始め

2004年1月5日
絶対に忙しいから、と、朝、張り切って早めに通勤しましたが。
 
 
 

やっぱり、半端じゃなく忙しかった(苦笑)。
 
 
 
それでも、夜の8時前には帰れたのは、とってもいいことだと思います。


10時くらいまでかかるかな、と、覚悟してたんだけど。 
 
 
 
 
明日は、退院後初の外来受診日。
お仕事を午前中おサボリしまーす(上司の許可は当然取ってあります^^;)。
わーい。
手術後10日が過ぎました。
まだ喉の痛みは続いているのですが、退院直後と比べると、だいぶ良くなって来ました。

そんな訳で、やっと、普通のご飯を食べる元気が出てきました。

仕事から帰ってきて作ったもの。

す き 焼 き 。

・・・・だって、鍋、楽なんだもん。
準備も、後片付けも。
 
 
 
基本的に、柔らかめの肉を少々と焼き豆腐と、白滝、大根あたりを担当しておりました。

そして、軟飯ではありますが
普通のご飯を初めて食べました。

飲み込みにやや時間がかかるものの、だいぶ普通のご飯らしくなってきたのが、ちょこっとうれしい。
 
 
 
*年末の日記を、途中までupしました。

台風。

2004年1月2日
朝の9時から、(ほぼ)通常業務のように始まる。

割合ヒマなのですが、今日は、外泊していた人たちが一時帰院してくるので忙しい。
 
 
だって、10時前後に、一気に15人くらい帰ってくるんだもん。

(=採血者15人と同じ。)

声が思うように出ないのを、必死に搾り出して、12時過ぎには、そんな大群もまた再外泊していった。

現在、14時半です。
嵐の去った後の、なんと静かなことか。

一緒に当番やっていたボスKを残して、私はお先に帰ります。

何とか元気です。

2004年1月1日
明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。

12月30日に無事退院し、31日は夫の居ぬ間に大掃除。
1月1日の元旦から早速勤務、と、地獄のような年越しをいたしました。

扁桃腺の手術の話はまたゆっくりupすることにします。
(2003年の日記が書き込めないんです、今・・・)

割合、静かな元旦でございます。
明日は忙しいぞっ。

面会者多数。

2003年12月27日
昼過ぎ、弟から電話。
「今から見舞いに行くけど、ねーちゃんど何階に入院してるの?」
手術後なんだから声が出ないよ、何で電話してくるんだこのバカたれ、と思いながらも、ちょびっとうれしい。
 
 
面会に来た弟と二人して、TVを見ていると(だって喋るの面倒臭いんだもん)、夫の両親が突然面会に。
ほんの数分間、質問攻めにされたのだが、声が出ず、休み休み話す私の状態に気づき、早めに帰っていった。

ふー、助かった。


その後、やっと夫が仕事から終わって面会に来た。

弟と3人でナイナイの番組を見て、お腹を抱えて笑って、笑いすぎて喉が痛くなった(←ばか)。

夜から5分粥に昇格。
だいぶ普通のご飯に近づいてきたぞ。わーい。
今朝まで流動食でした。

だいぶ元気が出てきたので、昼から3分粥へ変更してもらいました。


そしたら、いきなり、鶏のささ身が出た。
痛くて、絶対にこんなの食べられないよーー、と思いながらも、空腹と言うのはすさまじいものです。

ささ身1口を、5〜6分噛み続けて、何とか飲み込みました。
しかしフルーツ系は全くダメでした。
今日は、職場は仕事納め。
スタッフから愛のメールが届きました。

「1月1日から働けそうですか?」←まじ。

ああ頑張るさ。

術後1日目。

2003年12月25日
夜はほとんど寝られず。
うとうとしては起き、の繰り返しで、やっと明け方の5時前に寝かけたのですが。
 
 
5時半に、ドアがノックされ、看護婦さんが採血セットを持って登場。

・・・・ホントに朝5時に採血するんだ・・・・・。
 
 
ちなみに、私の採血は、昔から難しいらしい。

手背から手首の辺りは血管が浮き出るので、点滴は割合簡単に出来る。

左肘に、1箇所だけ血管が浮き出る所があるので、採血はいつも左肘から。
ちなみに、右肘では血管は見るどころか、触れることも出来ず。

献血に行った時も、太いルートが確保困難なために断られたことあり。

今回、手術の時に左腕に点滴してしまったために、左肘からの採血はおこなえず・・・。

採血当番の看護婦さん、一生懸命右肘の血管を探しているのだけれど、ぜんぜん見つからない。

かすれ声で、手背でも手首でもいいよ、と伝えたら、案の定、手首に刺されました。

いいの、どうせ慣れてるから。
 
 
 
朝から流動食開始。
普段なら、常食を10分以内に食べるのに(=職業病)、
重湯と南瓜の味噌汁のたった2杯を1時間以上かけて飲み込む、この歯痒さったらもう。
 
 
でも、喉は痛くても、お腹は減っているのだ。
 
 
 
日中も、うとうとしては唾液を吐き、の繰り返し。
でも、出血は、昨日に比べるとだいぶ落ち着いたなー。
昨日の夜の話だと、午後1番目の手術との事だったので、今日わざわざ仕事を休んでくれた夫には、
「10時過ぎに来てくれればいいよ」と言っていたのですが。

朝8時過ぎに看護婦さんがやって来て、
「今日の手術、午前中の人が何人かキャンセルになったので、
急遽、朝1番の手術になりましたー。準備しますねー。」
 
 
・・・・なりましたー。って言われても。

慌てて、家でまだ寝ているであろう夫に電話。
5回コールの後、やっと出る。

夫「・・・・もひもひ・・・・」

やっぱりまだ寝ていやがる。

私「私、朝1の手術に変更になったから、急いでタクシーで病院に来て頂戴」

きっと、寝耳に水、とはこのことでしょう。
 
 
結局、夫は私が入室してから10分後くらいに病室に着いたらしい。

私は私で、手術室で「俎板の上のトド」。
いろんなぺったんシールをつけられ、酸素マスクをつけた後で、
「じゃあ、少ーし点滴の所が痛くなりますよー、
眠くなりますからねー」
と言われ、わくわくしながら静脈麻酔を打たれました。

げーっ、ホントにこれ痛いーっ、痛い痛いーー!
と思った約10秒後、急に瞼が重くなり・・・・。
 
 
 
 
 
すっっっごい喉の痛みで、目が醒めました。
 
 
その後、ストレッチャーで運ばれたり、エレベーターに乗ったり、
ベッド異動したり、母親の声や夫の声が聞こえたり、
ぜーんぶ覚えているのですが、

喉が痛くて痛くて声も出ず。
麻酔後の影響なのか、ひどい頭痛で、目も開けられず。
酸素マスクを当てられても、開口器のせいなのでしょう、顎の周囲の痛みでマスクがわずらわしくて何回も外したり。
(夫が、怒って何度も付け直すんだけど、繰り返して外す、悪い患者の代表でした 笑)

全く唾液が飲み込めないので、血液混じりの唾液を吐いておりました。
 
 
 
 
後から聞いたのですが、右の扁桃がしっかりと癒着していて、摘出するのに時間がかかり、さらに、結構出血したそうな。

夕方に、ロキソニン1錠を必死で飲み、少し鎮痛されましたが・・・・・。まぁ、多少でしたね・・・・(涙)。
(もともと極度の低血圧なので、ボルタレン座薬は使ってもらえず・・・・)

それでも、7時半頃にプリンを半分、食べる事が出来、満足。
 
 
夜中、うとうとしながら唾液を吐き、またうとうとしては顎の痛みで起き・・・・。

ふー、でも、無事に手術が終わってよかった。

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